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ドクターKのこだわりコレクションをご紹介します。

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英国からまた大きなパッケージが届いた。トスカニーニの箱だった。その名も「Arturo Toscanini: The Complete RCA Collection」。RCA時代のレコーディングがCD88枚に集大成されている。アメリカでの発売は6月らしい。

イタリア人であるトスカニーニの演奏は一言でいえば猪突猛進で歯切れが良く、フルトヴェンブラーのゲルマン風の粘液質な演奏を聴いた後にトスカニーニを聴くと胸がすく思いがする。闘う音楽家として鞭で鍛え上げるような厳しさを求め、カンタービレを謡い、誠に気迫ある演奏を聴かせた。あのカラヤンも自らの録音の前にトスカニーニのレコード演奏を繰り返し聴いていた。

それにしても、今や88枚のCDセットが$100ほどで手に入ってしまう。昔、トスカニーニのベートーベンやブラームスの交響曲全集を、それぞれ今回のCDセットと同様の価格で購入していたことを思うと、まさに隔世の感がある。良い時代になったと思う反面、音楽を聴くことの有り難みが薄くなっていくようで、やはり何となく寂しい気がしてしまう。

Dr K
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自己責任とはいえ、際限のない蒐集癖にも困ったものである。お気に入りの演奏家であれば、未発表録音と聞くとつい食指が伸びてしまう。メンゲルベルグもその中の一人。

メンゲルベルグといえば、フルトヴェンブラーと並んで、戦前から戦中に活躍した巨匠中の巨匠。名門アムステルダムコンセルトヘボウを鍛え上げ、オーケストラを自らの楽器と化し、縦横無尽な名演を聴かせた。その特徴は、超ロマン主義的な曲の解釈と演奏。自在にフレーズやテンポを大きく動かし、敢えて、大衆に受けるような個性的な表現を披露した。その典型的な例がチャイコフスキーの悲愴やバッハのマタイ受難曲。聞き慣れた曲の聞き慣れた表現を予期していると吃驚してしまう。

イタリアのTahraレーベルから第3集まで発売された未発表ライブ録音集には、珍しい録音が多数納められている(写真上、左右)。この中には、1940年4月に短期間に行われた有名なベートーベン交響曲の全曲演奏会のライブ録音のうち、これまで失われたと考えられていた交響曲第3番「英雄」の第2から第3楽章が納められている。大衆の受けを狙った恣意的な演奏を聴かせることの少なくないメンゲルベルグだが、ベートーベンやブラームスの作品では、ライブ録音においても意外に正統的な解釈をしていることがわかる。但し、そこでもベートーベン第9のエンディングやブラームス第4番第一楽章など、期待を裏切らない愕きで魅せる。



写真上は、オランダのQ Diskというレーベルから発売されたCD10枚組の未発表放送録音集。この箱に添付されたDVDでは、1937年9月、ウェーバーのオべロン序曲の全曲を指揮するメンゲルベルグの勇姿を観ることができる。意外に端正な指揮をしている。

メンゲルベルグはフルトヴェンブラーと同世代であり、戦前のヨーロッパ楽壇においては両者肩を並べる影響力があったはずだが、今なお多くのクラシックファンに神のように崇められているフルトヴェンブラーに比べ、メンゲルベルグが名盤談義などの話題に上ることはあまり多くない。大戦中、ナチの活動に露骨に協力したメンゲルベルグは、その巨匠としての名誉を戦後も回復することなく、不遇の内にその生涯を閉じてしまった。

Dr K



私は地方のいわゆる進学校の出身である。文武両道を校風とした高校であったが、同級に少し趣の変わった友人がいた。

彼の名は田代慎之介。もの静かな好青年であった。

ある時期、彼と席を並べることがあった。ふとしたきっかけでクラシック音楽の話題になった。私がその頃聴いたベームのジュピターが良かったと得意げに言うと、彼も何気なく話に乗ってきた。彼のクラシック音楽における深い知識に非常に驚いた。その時始めて、将来ピアニストになることが志望らしいと知った。その後、彼が中学時代に毎日音楽コンクールのピアノ部門で全国優勝していたことを他の友人から聞いた。

やがて高校の卒業式を迎え、皆全国各地に散っていった。彼は順調に東京芸大のピアノ科に進学した。大学では松浦豊明氏の薫陶を受けた。大学卒業後、彼はハンガリーのリスト音楽院に留学した。そこでリストやバルトークなどのハンガリー出身の大作曲家たちの作品の研究と演奏法の研鑽を積んだ。帰国後、芸大の大学院を修了した彼はプロのピアニストとして、音楽大学で教鞭を取り後進の指導にあたる傍ら、リサイタルなどでの活発な演奏活動を行っている。いくつかのコンクールでも栄えある入賞を果たしている。日本を代表するピアニストの一人である。

私事になるが、彼は私の結婚式にも遠路遥々出席し、披露宴でピアノ演奏をしてくれた。今思い出しても冷や汗がでるが、非常に厚かましい演奏依頼を彼は快く引き受けてくれた。本当に感謝しています。

その彼が昨年CDを発表した。タイトルは「バルトークピアノ曲集第1集」。素晴らしいCDである。バルトークの作品への対峙は彼にとってライフワーク。長年の研究と研鑽の成果がここに見事に開花している。バルトークはピアノ協奏曲などの大作以外にも、民俗音楽を取り入れたピアノのための多くの小品を残している。CDに収録された必ずしも有名ではない小品の1つ1つが実に丁寧に弾き分けられている。すべての演奏が熟慮と練習を重ねて丹念に練られたものなのだろう。まさに彼が満を持して世に問うた作品集である。Amazon.co.jpでも購入することができる。

田代君にはこれから国内ばかりではなく国際的にも益々活躍してほしいと思う。「バルトークピアノ曲集第2集」の発表も期待しています。

Dr K


バルトークの弦楽四重奏曲6曲は、20世紀が生んだ最高の室内楽曲である。ベートーヴェンの16曲の弦楽四重奏曲が旧約聖書、バルトークの6曲が新約聖書と喩えられることもある。バルトークはハンガリー生まれの作曲家。民俗音楽の研究家でもあり、その研究の成果を自分の作品に積極的に取り入れた。6曲のいずれもが違った曲想からなり、第1、2番でそれまでの後期ロマン派様式に別れを告げ、民俗音楽を作品に取り込む手法を打ち立て、3、4番で独創的な自己の作風を確立し、第5番で弦楽四重奏の芸術的頂点に上り詰めた後、第6番で一転して恬淡に祖国への告別を謡った。

ジュリアード弦楽四重奏団(ジュリアードSQ)は、バルトークの弦楽四重奏曲全集を計3回録音している。上に挙げた写真は1963年の第2回目の録音で、この曲の最高の演奏との誉れの高いもの。ジュリアードSQはその結成以来、メンバーの入れ替わりを繰り返しているが、この録音が行われた時の構成は、ヴァイオリンがマン、コーエン、ヴィオラがヒリアー、チェロがアダムと最強のメンバーであった。4人全員がその高い演奏技術により、複雑なリズムと曲想の難曲を完璧に再現した。恐ろしく精緻な演奏である。今もこれを超える演奏はないと信じている。


 

ジュリアードの1回目の録音は1950年に行われている(写真左)。メンバーは結成時のオリジナル団員。前年に行われたニューヨークでの全米初の全曲チクルスの衝撃的な成功を踏まえて録音が行われた。先駆者としてこの画期的な作品を世界に紹介する使命を与えられたことへの自負とともに、こうした作品と巡り会った演奏家たちの素直な感動が感じられる。熱い覇気が伝わる清新な表現であり、未知の世界に対峙する異常な緊迫感が伝わってくる。迂闊に触れれば血しぶきが飛びそうな鋭利な演奏である。

第3回目の録音は81年に行われた。メンバーはマンを除いて一新されているが、最早、現代の古典となった作品に対して、完璧な演奏を目指すという技術的な興味を乗り越え、純粋に作品の意図する音楽的核心に迫ろうとする姿勢が伺える。演奏に柔軟さと芸のふくらみが加わり、作品を慈しむゆとりさえ感じる。円熟を迎えたジュリアードの至芸である。




ジュリアードSQの全盛期は1958年から1967年までのマン、コーエン、ヒリアー、アダムというメンバーの時代。4人の音楽センスと技量が極めて高いレベルで伯仲してり、切磋琢磨しながら最良の音楽を創造した。この時期の代表作はCBS時代の第2回バルトーク全集、中期ベートーヴェン弦楽四重奏曲のラズモフスキー3曲などであるが、以前のRCA時代にも多くの名演を残していた。RCA録音の一部については数年前に、英国のTestamentレーベルからCD4枚分の録音が復刻された(写真上)。ベートーヴェンやシューベルトなど古典派以外にも、ベルクやウェーベルンの新ウィーン学派音楽の名演が聴ける。




また、ジュリアードSQは1962年にブダペスト弦楽四重奏団の後継として、ワシントン国立国会図書館のレジデントカルテットとなり、定期公演を続けた。バーンスタインやアラウなど一流の音楽家との共演のライブ録音は、Doremiというマイナーレーベルから次々と復刻されていたが、第6集まで進んだところで、残念ながら同レーベルは倒産してしまった(写真上)。




ちなみに、これがジュリアードSQの60年代旧録音のベートーヴェン弦楽四重奏曲全集。お勧めは80年代録音の新盤の方ではないので念のため。購入しておいて損はないですよ。

ジュリアードSQにまだまだ多くの埋もれた名演奏の記録があるはず。SONYとRCAがジョイントした今、最近の巨大クラシックボックス販売の波に乗り、ぜひジュリアードのコンプリートコレクションを発売してほしいものである。




おまけ)これもジュリアード最初期の貴重盤(廃盤)で、United Archicesのシェーンベルグ弦楽四重奏曲全集。まだ未開封です。

Dr K



最近追加したコレクションで最大の収穫といえるのがこの赤箱。長いことネットで探し回っていた代物。カナダの通販ショップで新品を偶然見つけ即購入した。すでに廃盤となった極めて貴重なアイテムで、その価値を知る者が容易に手放すとも考えにくく、中古市場に出回ることもまずないと思われる逸品である。

これはポーランド出身のハープシコード奏者のワンダ・ランドフスカの掛け替えのない遺産。1928年から1940年にわたる戦前ヨーロッパでのすべてのスタジオ録音を集大成した8枚組のCD箱。発売元のUnited Archives社は、過去の演奏家達のすでに廃盤となった幻の名盤を極上の音で次々と復刻させ、マニアを喜ばせていたレーベル。ところがCD不況の波には勝てず、惜しくも2008年に廃業に追い込まれた。因みに、United Archives社により復刻されたCDはいずれもマニア垂涎の貴重盤ばかりで、中でもこのランドフスカの名演の復活は最大の業績とされていた。

ランドフスカは19世紀始めより忘れ去られていたハープシコードという楽器を20世紀に復活させ、その普及に尽くした女性音楽家。ハープシコードを主役に据える作品はせいぜいバッハの時代までで、ベートーヴェンの時代以降は見向きもされなくなっていた。ピアノと違い音のダイナミックスを表現しにくいというのがその理由。

20世紀前半のSP録音であるにも拘らず、United Archivesの見事な復刻技術により、絶頂期のランドフスカの極上の名演を堪能できる。自ら制作に携わった特製ハープシコードを用い、時に典雅に、時に壮麗に、時に躍動的にと、各作品を雄弁な語り口で弾き分ける。特にクープランのクラヴザン曲集はランドフスカの最高傑作。その典雅な趣き、洒脱な語り口は絶品といって良い。


 

1939年、ナチスの台頭による身の危険を感じたランドフスカはアメリカに移住することを決意し、新天地で演奏活動を続ける。それ以降の演奏の記録はRCAレーベルに残されている。有名なバッハの平均率クラビーア集やゴルドベルグ変奏曲なども含まれている(写真上)。すでにその経歴のピークを過ぎているにも拘らず、そこで聴かれる演奏はとても若々しくモダンなもので驚かされる。その後のグレン・グールドのピアノ演奏と比較してみるのも一興。




ランドフスカの演奏の映像も残されている(写真上)。骨と皮だけのひどく痩せた手指は一見柔弱に見えるが、一旦演奏を始めると驚くほど力強く、溌剌とハープシコードを奏でる。彼女自身が自らの音楽遍歴やそのエピソード、バッハ作品の演奏のあり方などを語っている場面もあり、とても興味深い。

Dr K
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日々の外来診療の傍ら、周囲の目に隠れて密かに集めたこだわりのコレクション。未視聴、未読のCD、DVD、本の山に囲まれながら、人生の残り時間を考える毎日。
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